【文章のコツ】否定的な文章は論理的に、肯定的な文章は感情的に書くとよい。これは、子供への
接し方のコツとよく似ている。
2010-04-23 (via gkojay) (via takaakik) (via deli-hell-me) (via dfgkelxp) (via chihanos) (via ibi-s) (via toriaji) (via usaginobike) (via korobix) (via psychemical) (via ue-makey) (via darylfranz) (via oimosan) (via flatmountain) (via precall) (via skaholic) Via ymym.
(初級)
(1)体と顔を相手(子ども)にむけ、相手(こども)の顔を見る。
(2)こどもの言葉に静かに耳を傾ける。
(3)相手が言い終わるのを待つ。
(4)あいづちをうちながら聞く。
(中級)
(b)(傾聴タイムのときは)子どもに指示やアドバイスをしない。
(上級)
(例)「それは、がっかりしたね」「恥ずかしかっただろうね」
(例)「お父さんも魔法でアイスクリームが好きなだけ出せたら、すごくうれしいと思うよ」
できるだけ子どもからの話しかけがあったときに、上のパターンで返してみる。
– 子育てtipsとモテtipsが近い (via dot)2010-09-14 (via gkojay) Via YaMa MeMO
シェイクスピアの有名な喜劇《じゃじゃ馬馴らし》は、悪態つきのじゃじゃ馬女が武骨な男に調教されて貞淑な妻になるという、フェミニズムの闘士が読んだら逆上しそうな物語である。
で、ここでの調教方法が面白い。メシと睡眠を与えないのである。メシはともかく、睡眠を与えないのはどこかの宗教法人の洗脳マニュアルと同じではないか。
ちなみに、盟友のちちはるおがかつて某学会員に入信の勧誘をされた時も、朝まで寝かしてくれなかったという。ホテル招待型の詐欺商法のテクニックも、部屋に押し入り、契約書に判を押すまで寝かせないというものである。
どうやら「寝かせない」という洗脳方法は、シェイクスピアの昔からある伝統的なテクニックのようだ。
ところで、洗脳ということで必ず思い出されるのが、パティ・ハーストの事件である。反社会的な団体に洗脳され、すったもんだの挙句に保護されて再洗脳を施されて「社会復帰」したというその概要は、我が国の飯星某や山崎某のそれと同じなのであるが、パティの事件はこれらと一線を画している。というのも、彼女は《市民ケーン》のモデルとなったことで有名な新聞王、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの孫娘だったのである。
新聞王ハーストの壮大なる馬鹿人生については第9章で詳述したのでそれに譲るとして、本章ではその孫娘パティの、これまた馬鹿な人生にスポットをあてることにしよう。大富豪の御令嬢のじゃじゃ馬がどのように調教されたのか。そして、いったい何をしでかしたのか。さらに、彼女の「社会復帰」がどのようなものであったのか。
それは、とても間抜けなものであった。
1974年2月4日、一人の娘が誘拐された。新聞王ハーストの孫娘にして、《サンフランシスコ・エグザミナー》紙社長ランドルフ・A・ハーストの三女パトリシアである。バークレー大学に通う19歳の彼女は、大学講師を勤める婚約者、スティーブン・ウィードとの同棲生活を送るため、親元から離れて大学付近のアパートメントに引っ越したばかりだった。この新居に銃で武装した二人組の暴漢が現われた。婚約者は張り倒されて気絶、その間にパティは車のトランクに閉じ込められて連れ去られた。
誘拐団からの犯行声明を受け取ったのはサンフランシスコのラジオ局だった。彼らはシンバイオニーズ解放軍(以下SLA)を名乗り、パティの肉声を収めたカセットテープも添えられていた。
「わたしはちょっとすりむいたけどだいじょうぶです。かぜもひきましたがお薬をくれました。わたしは武器をもった人たちといっしょにいます。でも、わたしにはとても親切にしてくれます。安心してください」。
SLAは西海岸ではちょっとは名の知れたテロリストだった。リーダーはドナルド・デフリーズ。30歳の黒人で「陸軍元帥サンク」を自称していた。1830年代の奴隷船反乱の首魁の名からの引用だ。しかし、彼の素性は脱獄者。なんのことはない、SLAは政治団体とは名ばかりの単なる犯罪者集団だったのである。
「陸軍元帥」の最初の標的はマーカス・フォスター。カリフォルニア州オークランド市で教育委員会の委員長を勤めていた彼は、1973年11月6日、以下の理由で処刑された。
学校警察班の設置の提案。
児童の身分証明カード制の導入。
少年犯罪の減少を目的とした教師、警察、保護司相互間の協力の推奨。
なんだこりゃ。いずれも犯罪大国アメリカとしては已むを得ない正当な主張じゃないか。たしかに自由主義、個人主義の観点から行き過ぎの感も否めないが、アメリカの現状を考えれば無茶な政策には思えない。
どうやらSLAの同志たちは、自分たちに都合のいい「犯罪国家」を築き上げたかったようだ。
明けて74年1月10日、フォスター殺しの容疑者であるSLAの同志2名が逮捕された。そして2月4日、パティ・ハーストが誘拐された。誘拐の目的は客観的には明らかだった。案の定、「陸軍元帥」は同志の釈放を要求してきた。そして、パティの父君には、なんとも風変わりな命令を下した。
「カリフォルニア州の貧民6万人に、それぞれ70ドル分の食料を与えよ」。
「陸軍元帥」は貧民どもの英雄になりたかったのだろうか。しかし、それにしても法外な請求である。単純に計算しても経費は400万ドルを越える。いくらハースト家が大富豪とはいえ屋台骨が傾きかねない。しかし、パティは平気である。
「パパ、ママ、この人たちの要求は、私には無理なものには思えません。だって世界中の人に食べ物をあげろと言っているのではないのですもの。ですから 速やかに指令を実行しなさい。さすれば、すべてはうまく行くでしょう」。
パティの我が儘ぶりは相変わらずだったが、彼女の口調には確かに変化が現われていた。
可愛い娘の命には代えられない。パティの父君はとりあえず200万ドルを用意し「富の再分配」事業に取りかかった。ところが、事業が始められて10日後の4月3日、父君母君はおろか世界中がアッと驚く事態が発生した。
パティがSLAの「同志」になってしまったのである。
「私は本日をもってシンバイオニーズ解放軍の同志となることをここに誓う。私は以後、私自身の自由と、そして黒人の自由のために闘うことを使命とする」。
後に他の「同志」が明かしたところによれば、彼女は「陸軍元帥」に強姦され、その過程で洗脳されたとのことだった。
「私は残りの人生を決して豚どもと共に暮らすような真似はしない。ハースト家のような豚どもとはッ」。
ちょっと前の「パパ、ママ」の語調は何処へやら、彼女の勇敢な写真がカセットテープに添えられていた。SLAの旗の前でマシンガン構えて立つパティ。あら、この娘ももう立派な大人ねえ、などと喜んでいる場合ではないッ。SLAはオウム真理教と同様、単なる犯罪結社なのである。
ちなみに、オウム真理教といいマンソン・ファミリーといいSLAといい、洗脳型の犯罪結社においては一様に「もう一つの名前」が同志たちに与えられる。パティは「タニヤ」の名を授かった。少なくとも「ウッパラバンナー」よりはカッコいい名前である。その他の洗脳仲間は以下の通り。
「ファハイザ」ことナンシー・ペリー 元トップレス・ダンサー。27歳。
「クジョー」ことウィリアム・ウォルフ。高名な医者の息子。22歳。
「ガビ」ことカミリア・ホール。ルター派の牧師の娘。24歳。
「ゾヤ」ことパトリシア・ソルタイスク。パティと同じバークレー大学の学生。
「ジェリナ」ことアンジェラ・アトウッド。
「テコ」ことウィリアム・ハリス。元海兵隊員。
「ヨランダ」ことエミリー・ハリス。ウィリアム・ハリスの妻。
さあ、マスコミは騒然とした。なにしろ超タカ派で有名な、あのイエロー・ジャーナリズムの新聞王ハーストの孫娘が、こともあろうにテロリストになっちまったのである。これほど面白いことはない。ハースト家に恨み辛みのあるジャーナリストは五万といる。ここは大いに笑いたいところだが、そこはプロだから自粛して、しかし、この世紀の大イベントを盛大に演出した。
SLA側も世間の期待を裏切らない。続いて送られてきたテープには、ハースト家に対する侮蔑と罵倒、そして、婚約者スティーブンへの個人攻撃が満載されていた。
「あの男はクソ豚の性差別者だった。あいつは女を性の道具としか思っていなかった。私は貞操を蹂躙されて、性の奴隷と化した。あいつと暮らしたことは、私の生涯最大の汚点であった」。
おいおい、そこまで云うかよお、とも思ったが、あまりにも面白過ぎるので、全マスコミのマイクがスティーブンに集中した。
「あなたは本当に性差別者なのですか 」。
そんなことは事件とはまったく関係のないどうでもいいことだったが、面白過ぎるので誰もマスコミの人権蹂躙を責めなかった。
スティーブンがマイク攻撃に泣きベソをかいている頃、パティの事件はとてつもなく面白い方向に進行していた。
パティの「宣誓」から12日後の4月15日、サンフランシスコ郊外にあるハイバーニア銀行の防犯カメラが世にも珍しき光景を映し出した。颯爽とマシンガンを構えるパティ・ハースト。彼女は強盗団の一味として、遂に犯罪の檜舞台にデビューしたのであった。
彼女は後に、あの時は銃で脅されて已むなく片棒を担いだと弁明した。しかし、現場に居合わせた者は、彼女のこのような言葉を耳にしている。
「少しでも動いてごらんッ。脳天にお見舞いするからねッ」。
うわあ。《パルプ・フィクション》のオープニングみたいなカッコいいセリフ。
「床に伏せなッ。 あたいたちを馬鹿におしでないよッ」。
三人組強盗団の構成員を立派に演じたパティは(残りの二人は「テコ」と「ヨランダ」のハリス夫妻)、今やSLAからは「信頼できる同志」、FBIからは「犯罪者」の烙印を押されるに至った。FBIの全国指名手配はパティのパパやママを苦しめたが、パティからの犯行声明がこれに追い討ちをかけた。
「私は何人からも強制された訳ではない。自らの意思に基づき、自らの判断で行動したのである。私の役割は客や警備員のホールド・アップであった。もちろん、私の銃は弾丸が装填されていた。いつでも脳ミソを粉砕するだけの準備は私には出来ていた」。
FBIの捜索も空しく、パティたちの行方は一向に知れなかった。ところが、ひょんなことから彼らのアジトが知れた。それはノータリン・パティのちょっとしたドジの賜物であった。
パティ一味の銀行襲撃からちょうど1ケ月が経とうとしている頃、ロスアンゼルス市内の「メルのスポーツ・グッズのお店」でケチな万引きがあった。被害はソックス数点。これを抱えて逃げる男女を店員が追いかけると、理不尽なことに銃撃された。二人を待ち受ける車内からパティが発砲したのである。万引き団はエンジンふかして逐電。あとに残った者は唖然とした。
「万引きごときがなんでまた…..」。
幸い負傷者は一人も出なかったが、メルの店には30発も撃ち込まれていることが判明した。
「ソックスごときになんでまた…..」。
彼らは何故あってソックス如きを強奪しようと目論んだのであろうか?、今となっては知るよしもない。永遠の謎である。それはともかく、一味はここで大ドジを踏んだ。彼らを乗せたヴァンはその日の朝に、駐車違反でチケットを切られていたのだ。チケットには登録ナンバーがバッチリ記載されていた。これが手掛かりとなり、SLAのアジトはその日のうちにもFBIの知るところとなった。
5月17日、SWATの狙撃部隊を含む総勢374名の武装警官がグルリとアジトを取り囲んだ。多勢に無勢、もう逃げ場はなかった。テロリストごっこに従事するお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは降伏よりも討ち死を選んだ。やあやあ、遠からん者は音にも聞け。近くば寄って眼にも見よ。我こそは元トップレス・ダンサー、ファハイザちゃんなのよお、ドッキューン。最初に発砲したのは「ファハイザ」ことナンシー・ペリーであった。それからは乱射乱撃雨あられ。催涙弾は乱れ飛び、ヘリは空から爆弾を落とす。ファハイザちゃんは哀れハチの巣。アジトはあっという間に劫火に包まれ、一巻の終りを悟った「陸軍元帥」は己れの頭を銃で打ち抜く。唯一カミリア・ホールだけが火の海から這い出したが、その脳天はSWATの標的に収まっていた。
最初から皆殺しにするプランであったことは明らかだった。
あれ?。パティは?。
パティはどうなったの?。
読者諸君の関心はもっぱらパティ・ハーストの安否であろう。あははは。どうかご安心を。6000発の銃弾が費やされた銃撃戦にもかかわらず、我らがパティは死んではいなかった。いやいや。別にシガニー・ウィーバーやみたいなスーパー・レディだった訳ではない。たまたまアジトにいなかっただけである。パティはその時、ハリス夫妻とモーテルにいた。そして、テレビ中継を通じて同志の全滅を知ったのだった。
パティたちの逃げ足は早かった。屍体を数えたFBIがパティがいないことを気づいた頃には、3人はペンシルヴァニアに高跳びしていた。しかも、カセットテープは既に発送済みだ。パティはここで同志の死を賛えると共に、報復を高らかに宣言した。
「偉大なるSLAの精神は不滅である。私は自由のために闘い続けることをここに誓う」。
とはいうものの、現在の彼らは報復には役不足だった。銃器を仕入れると、パティはこれらの熟練に勢を出した。毎日のように4マイルもの荒野を走り、テロリストとしての体力を蓄えていった。
SLA襲撃から1年が過ぎようとしている頃、3人はサンフランシスコに移り住んだ。資金も底を尽き始めていた。彼らは早々に2つの銀行を叩いた。
しかし、2度目の時には「ヨランダ」がドジを踏んだ。抵抗した客の一人を殺してしまったのだ。これにはFBIも黙っていなかった。総力をあげてパティ捜索が押し進められ、遂に75年9月18日、3人は市内のアパートメントで逮捕されるに至った。
逮捕直後の「タニア」ことパティは過剰なまでに挑発的だった。握り拳を突き上げてこれを挨拶とし、職業を問われて「都市ゲリラ」と答えた。しかし 所詮はお嬢さま。両親に会わされるとグズグズになった。「タニア」の人格は消えて無くなり、改めて職業を問われると「無職」と答えた。
洗脳ってこんなに簡単に解けるものなの?。
パティ・ハーストは本当に洗脳されていたのだろうか?。
その年の暮れにも始まった裁判の争点はまさにこの点であった。洗脳されていたことを立証するために、パティは自ら強姦の事実さえも証言した。しかし、ティモシー・リアリーは著書《神経政治学》の中でハリス夫妻の証言を元に、パティとSLAのメンバーとの間には確かに性交渉はあったが決して強姦ではなかったと記している。
いずれにしても、陪審員は事件の社会的影響を重んじた。検察の主張を呑み有罪を評決。懲役35年という過酷な実刑判決が下るに至った。
とはいうものの、さすがはハースト家である。祖父ウィリアム・ランドルフ・ハーストの威光はいまだ衰えていなかった。ジョン・ウェインを始め、ロナルド・レーガン等、タカ派の大物たち総勢百余名がこぞってパティの釈放に嘆願書を提出した。洗脳の事実が斟酌されて7年に縮められた懲役刑には更に仮釈放の恩恵が付され、77年11月19日、150万ドルの納付金と引き替えにパティは自由の身となった。あれだけ世間を騒がせたにも拘わらず、パティは23ケ月服役しただけだった。
ところで、ハースト家のこうした裏工作は、真にパティのためのものだったのだろうか?。
ハースト家のメンツのためのものではなかったか?。
何故なら、ハースト家は一度はパティを見捨てているのだ。FBIのSLA襲撃は明らかにパティ救出に向けられたものではなかった。パティの抹殺にこそ主眼があった筈である。この頃にはハースト家はこの「じゃじゃ馬」にほとほと手を焼いていた。ヘタに生還されるよりも、いっそのこと死んでくれた方が都合がよかった…..。
上の私の推理には反論もあろう。しかし、これは普通の家庭に起きた誘拐事件ではない。政財界に多大な影響力を有し、FBIはもちろん様々な政府機関への発言権を持つ、恐れ多きハースト家の事件なのである。一族を「豚」呼ばわりしたじゃじゃ馬娘を抹殺するぐらいの心の準備は出来ておる。
ところがどっこい、パティは生還してしまった。しかも、そのまま「タニヤ」で居続けてくれた方が都合が良かったのだが、あっさりと「パティ」に戻ってしまった。彼女がハースト家に戻った以上、そのままブタ箱に入れておくことは一族のメンツが許さない。かくしてパティは自由の身となった。
しかし、自由になったパティには「タニヤ」であった頃の真の自由はない。彼女を待っていたのは、ハースト家の一員としての涙ぐましい「社会復帰」の努力だった。
彼女は務めて社交の場に登場するようになった。有名人のパーティには必ず出席し、進んでインタビューにも応えた。もちろん笑顔は絶やさない。マスコミを通じてイメージ回復を目論んでいることは明らかだった。
イメージ戦略の極めつけは、警察官バーニー・ショーとの結婚である。
しかし、その一方で、悪趣味映画の巨匠ジョン・ウォーターズ作品へも出演している。90年の《クライ・ベイビー》を皮切りとして、《シリアル・ママ》《ペッカー》、そして最新作の《セシル・B・シネマ・ウォーズ》と、今や悪趣味映画の常連だ。これは思うに、彼女に出来る唯一のハースト家への反抗なのだろう。
以下はウォーターズ作品でのパティの配役一覧。
《クライ・ベイビー》では、緑のおばさん。
《シリアム・ママ》では、最後に殺される陪審員。
《ペッカー》では、画廊の若作りのおばさん。
《セシル・B》では、オナニー少年の母親。
次第に変態度がアップしてきている





